たつまちの歴史・皇大神社

アイコン鈴400年の歴史を持つ、由緒ある皇大神社
皇大神社 神社とは、人々の信仰を集める祭祀の場であるとともに、古来より地域のコミュニティの場として機能してきました。たつまち商店街の南端に位置する「皇大神社」も、400年もの長きに渡り、立町の鎮守の杜として町とともに歴史を刻んできました。
 皇大神社は、上杉景勝公の米沢移封にともない、越後(現在の新潟県魚沼郡)、会津と経て米沢に遷座された由緒ある神社です。現在の場所には、直江兼続公が米沢大改革を行った頃に前後して遷座され、上杉家から重宝されたとともに町の人々の信仰の中心となりました。縁結び、子宝、厄除けの神様として崇められ、近隣住民はもちろん、遠方からも参拝者が訪れます。

アイコン鈴地域と密接に関わる、心のよりどころ
 立町は、米沢市の中でも最後まで公民館がありませんでした。なぜなら、皇大神社がその役割を担っていたからです。
御輿 境内は子どもたちの集団登校の集合場所であり、夏はラジオ体操の会場となり、早朝勉強会も開かれます。また住民集会や、冠婚葬祭など人の集まりにも利用されています。皇大神社は地域コミュニケーションの中心地として、住民にとってとても身近な存在なのです。
 また皇大神社では、毎年7月15・16日に夏の例祭、10月15日・16日には秋の例大祭が行われます。例祭では、子ども御輿や青年御輿のほか2年前からは女御輿も加わり、町内を練り歩きます。20年ごとの御遷宮の時は、神の化身ともいわれる白馬の山車も登場し、一層にぎやかな行列がお祭りに華を添えます。転入者が多く地域との関係も希薄になりがちなマンション住民も、お祭りをきっかけに周辺住民とふれ合い、地域にとけ込んでいくといいます。
白馬 大正6年5月、米沢大火で本殿が焼失したとき、氏子からの浄財で再建されました。また20年ごとの御遷宮も、行政からの援助を受けながら氏子からの浄財で行われています。皇大神社は、立町を中心とした氏子衆らによって支えられているといえるでしょう。そして、人々によって支えられる皇大神社もまた、心のよりどころとして人々の心の支えとなっているのです。

アイコン鈴皇大神社と立町
 「たつまち」は、その名の由来に諸説あり、毎月5日に市が立つ町という意味の「立町」や、南北に長く延びていることから「龍町」、鍛冶町に隣接することから「太刀(たち)町」がなまって「たつまち」になったという説もあるといわれています。
 立町は、由緒ある皇大神社の門前町として長く栄えてきました。現在、米沢第一ホテルの通用道になっている部分は、神社の鳥居から東にのびる参道だったといいます。町を散策すると、わずかに残るいにしえの面影を目にすることができるでしょう。
 都市部の人口減少、高齢化といった社会現象から一時期ほどの賑わいがない立町界隈ですが、鎮守・皇大神社のもと商店街が一丸となり街の活性化に取り組んでいます。

鳥居皇大神社禰宜・我彦典子さん、皇大神社責任役員の藤倉英一さん
今回お話を伺ったのは…
皇大神社禰宜・我彦典子(わびこのりこ)さん、皇大神社責任役員の藤倉英一さん
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