会心の一枚を求め、厳しい冬山へも登る
「茨城屋茶店」店主
益子栄一さん
質素倹約を掲げた上杉鷹山公の影響なのだろうか、米沢人は控えめで謙遜する性格の人が多い。
「茨城屋茶店」4代目の益子栄一さんもその一人。趣味の写真において、その世界では全国的にも名の知られる功績を持つ。しかしそれについて自ら話すことは、めったにない。
登山中に撮った風景写真「ワタスゲ」が賞を獲得
登山が趣味の益子さん。美しい山々の風景に出会うと写真におさめるていた。故郷の山々を愛する益子さんは、主に吾妻・飯豊・朝日に1泊2日の行程で登る。厳しい冬山にも果敢にチャレンジした。
「年間50日ぐらいは山に登っていますね」。
相当な山好きである。
撮りためた作品の中からお気に入りのものを二科展や県展、市民展などに出展していた益子さんだが、1969年に山形県展県知事賞と文部大臣賞をダブル受賞するという快挙を成し遂げる。
そのころ益子さんは、写真家の故・秋山庄太郎氏と知り合う。女性のポートレートや花の写真でも知られる秋山氏は、自然豊かな米沢の地を愛し、のちに自身のアトリエ「山粧亭」を米沢市内にかまえた。
「秋山先生が初めて米沢を訪れた際に、おもてなしさせていただきました。当店のお茶を点て、地元で取れた山菜を天ぷらして差し上げたところ、たいそう気に入っていただきました。それがきっかけで米沢に『山粧亭』をお作りになったんです」。
秋山氏は亡くなる直前まで、年末年始は決まって山粧亭で過ごし、お年とり(年越し)には益子さんも毎年招かれたという。時折山粧亭で開かれる茶会では、いつも益子さんの奥様や娘さんが茶席をまかされた。益子さんと秋山氏は家族ぐるみで親交を深めていった。
「秋山先生ほどの方がなぜ私と…とずっと不思議でしたね」と話す益子さん。秋山氏は、そんな益子さんの米沢人らしい奥ゆかしい性格と、損得を考えない温かいもてなしの心に安らぎを覚え、晩年まで仲良くしていたのではないだろうか。
日本の伝統文化「茶」を後世に伝えたい
同店の創業は明治30年。店名の由来は、初代の出身がお茶の生産地である茨城だったからだという。
同店のお茶には根強いファンがいっぱいいる。遠方からわざわざ買いに来る人、香典返しでいただいたお茶がとてもおいしかったと茶袋を持って訪ねてくる人、十数年来通販で買い続けている東京在住の医師…。リピーターが多いことが、同店のお茶の良さを証明している。
益子さん、益子さんのご家族、そして茨城屋茶店が多くの人から愛されている理由は、茶の湯の精神である「和敬清寂」がしっかり息づいているからだろう。穏やかで物腰柔らか、相手を敬う心、それらの奥に潜む強い意志。だからこそ益子さんは秋山氏に愛され、秋山氏が認めるほどの写真が撮れたのかもしれない。
「写真とは、狙ったものが思うように撮れないもの。そんな中、会心の1枚が撮れることがあります。その時の感動が写真の一番の魅力でしょうかね」。
会心の1枚を求め、今日も益子さんはカメラを片手に山へ向かう。
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