町の印刷所は、人々が集まるサロン
「羽陽印刷」
石田一郎さん
町場にあった印刷所がより広い敷地を求め郊外へ移転していく中、「羽陽印刷所」は町の中で操業を続ける数少ない印刷所だ。社長の石田一郎さんが、町の中での操業にこだわる理由…。そこには“サロン”というキーワードがあった。
動かずとも仕事がやってくる“商店型経営”
その昔、たつまち商店街が「銀座通り」と呼ばれていた頃、羽陽印刷があった場所は、通りの中でも一番の繁華街であったという。近隣には今よりもっと多くの店が建ち並び、各店舗のチラシづくりで大忙しだったと石田さんは当時を振り返る。
「土地の利といいましょうか、こちらから営業に出向かなくてもどんどん仕事が持ち込まれてきました。工場でありながら商店のような感じでしたね」。
そして現在、商店街は昔ほどのにぎわいはなくなり、店も激減した。しかし不思議なことに、いまだに羽陽印刷には仕事が次々と持ち込まれ、営業に出て仕事を取ってくることが少ないという。その理由を尋ねると、
「以前と変わらず、人が仕事を持ってきやすい場を作っているからです」という答えが返ってきた。
羽陽印刷では創業当時から、夜になると地元の芸術家や文芸家、文化人らが自然と集まり、酒を飲みながら語り合うということがしょっちゅうあったという。人々が集まり交流する、サロン的な場であった。人が集まる所では情報交換が行われ、会話の中から新しいアイデアが生まれ、仕事が発生した。そうやって自然と仕事が集まってきたという。
「その伝統を今も守っているんですよ」と石田さん。
現在も、羽陽印刷の事務所にはひっきりなしに客が訪れる。仕事の打ち合わせで来る人もいれば、電話で発注すれば済むようなことでもわざわざ来て2時間おしゃべりして帰っていく人もいるという。しかし、その2時間の他愛もないおしゃべりの中に新しい仕事のヒントがいっぱい隠されているのだ。
「平日の朝から夕方まで働き土日は休むという今の世の中において、私のやり方は古いのかもしれません。でも、これも立派な商売の仕方の一つじゃないでしょうか」。
大切にしたいのは、人とのつながり
「印刷技術においては最新機器を導入している大手企業にかなわないかもしれません。でも私には大手企業がかなわない、長年培ってきた“人とのつながり”という大切なものがあります」。
町場にサロン場を作ることで、年代も職業も違う人々が集まり交流が始まる。石田さんがもっとも理想とすることであり、それが実現し機能している。
「印刷業で本当に良かったと思います。きっと他の業種だったら、今のようにいろんな業界の人と知り合い、話もできなかったでしょう。人とのつながりはお金では買えませんから。こんなに面白い仕事はないですね」。
時代の流れで街が変わっても、その中の“人とのつながり”は変わらない。人とのつながりを作るため、今日も石田さんのところには人々が集まってきている。
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